
第二回
「軍隊であったことの再認識」
昭和59年3月、私は晴れて航空学生第40期生として航空自衛隊に入隊をした。高校を卒業後約1ヶ月余りのぬるま湯生活とは打って変わって、入隊式を境に私の人生は一転した。
頭は丸坊主、起床は6時。上半身裸体で全速力で飛び出し毎朝グラウンドで整列点呼、その後駆け足。建物間の移動は常に整列し隊列を組み駆け足。
毎食事は数分間。
午前中は学科教育。
午後は教練及び体育訓練(ほとんど駆け足)。
入浴はカラスの行水並み。
入浴直後には毎晩隊歌指導(先輩による軍歌のお稽古)。これが一番辛かった。
この件の細部については、国防機密につき公開できないのでご了承いただきたい。
消灯は10時10分で、ラッパの音とともに電灯が消える。
最初の2週間程は柵の外に出ること(外出)はできない。
次週からは土曜日の午後と日曜日だけ外出が許可される。
当然、門限があり、外泊は許可されず土曜日は午後10時、日曜日は午後9時までに帰隊完了しなければならなかった。
もちろん、テレビなど見る暇もなく、芸能界などとは無縁となり柵の外(一般社会)では何が起きてるのすら判らなかった。
こんな地獄の様な生活がゴールデンウィークまでの約1ヶ月続いた。
自分でも良く生きてたなと・・・。
今思えば、夢を同じくする同期生がいたからこそやって来れたんだ思う。
ゴールデンウィーク以降は先輩による毎晩の隊歌指導が無くなっただけで、毎日、体力気力の練成の日々をおくっていたような気がする。
夏には洋上を2時間かけての遠泳訓練。
秋には60km行軍。2日間夜通し山中での戦闘訓練。
年中駆け足。・・・・。
一言で言うと、映画「愛と青春の旅立ち」のような日々が2年間続き、入隊した事を後悔する暇もなく、軍隊であったことを再認識する毎日であった。
もう一度やれと言われても、いくらお金を積まれようが2度とやりたくない2年間であった。
しかし、それだけに私のファイターパイロット人生の強固な土台となった期間であり、その後に待ち受けている厳しい飛行訓練の素地になったと確信している。
「やる気!元気!負けん気!」これが航空学生の心意気だ。
こうして、2年間の地上教育課程(航空学生教育隊)を終了し、念願のフライトコース(飛行訓練)に進む運びとなった。
つづく
NOLIDER
