第1回

 

「人生の転機」

 

男の子なら誰もが憧れるパイロット。私も例外ではなく、小学生の頃から旅客機のパイロットを夢見てた。

 

その当時ドラマで「白い滑走路」が放映されていたのを覚えている。

 

それが影響していたかどうかは不明だが、飛行機の模型でよく遊んでいた覚えもある。

 

高校時代に具体的進路を決める頃、やはりラインパイロットになりたくて航空大学校を第一志望とした。

 

また同じクラスに戦闘機パイロットを志望する同級生がいた。

 

私は戦闘機などに全く興味は無く、ましてや軍隊(自衛隊)自体好きではなかったため眼中になかった。

 

彼は、航空自衛隊の航空学生という制度を志望しており、私にも自衛隊を勧めた。

 

当時、航空大学校の受験資格は高校卒業以上であり、第1次(学科)、第2次(身体検査)、第3次(操縦適正)と3段階の選考試験があった。

 

航空学生の受験内容も、学科試験のレベルの差はあるものの、航空大学校と同じ3次試験まであり、全般に試験時期が早かった。

 

高校のクラス担任から、「試験の練習になって良いじゃないか?」と航空学生の受験を勧められたのが事の発端である。

 

 

航空大学校の一次試験では残念ながら失敗!

 

在学中に再度受験するつもりで、取り敢えず大学進学のため受験勉強に取込む中、肺炎を患ってしまった。

 

絶対安静だったため布団の中で航空雑誌を見てたその時、今まで全く興味がなかった戦闘機がやたら目に入ってくるではないか。

 

実はもう既に、全く行く気もない航空学生の試験は、2次試験まで合格通知をもらっており、3次試験の2、3週間程前だったと思う。

 

 

『航空学生に入隊を決めればもう大学の受験勉強は・・・。』

 

と、

 

その時ふと脳裏をよぎったことが、大学受験(関東の5校程の私立大学)の敗因だったことはいうまでもない。

 

 

合格した道はただ一つ「航空学生」のみだった。

 

大学浪人はしたくなかった。

 

昭和59年3月、こうして私は航空学生第40期生として人生の転機を迎えた。

 

つづく